体験談 [所長の先輩] ガソリンスタンド2
ガソリンスタンドの話2
所長の先輩
地元でガソリンスタンドマンをしていた時の話だ。
君島さんという常連さんがいた。
所長の中学時代の先輩らしい。
週一くらいでうちのスタンドに給油に来ていた。愛車は日産ローレルだ。
いつも穏やかでニコニコしていて、目が合えば「頑張ってね!」とやさしく声をかけてくれる、そんな人だ。
このガソリンスタンドは、気性の荒い常連客ばかりなのだが、君島さんは違った。
ダンプ屋やダンプ屋や、土建屋やダンプ屋の
罵声飛び交うスタンドの辛い業務を行う中で、
いつも優しい君島さんは
一種、僕の心の拠り所とも言える存在であった。
そう、信じていた。
気になっていることがあった。
所長の君島さんへ接する態度だ。
普段から、
ダンプ屋相手にも決してへりくだらず、誰にでも大きな態度で接客する所長は
何故か君島さんにだけはいつも必要以上に丁寧に接しているように思えた。
「ここら辺で俺に逆らう奴はそういねえ」
と豪語する所長(30)が
「いーぁっせぇ~(いらっしゃいませ)」
「あーりっゃし~っ(ありがとうございました)」
と適当な日本語で接客する所長が
君島さん相手にはいつもへりくだり、
ペコペコ頭を下げ、
「ありがとうございました」
と正しい日本語を使う。
僕にはこれが不思議でならなかった。
何か大きな恩でもあるのだろうか。
悩んでいても仕方ない。僕は直接理由を聞いてみることにした。
ある夏の日の午後、休憩を終えた僕と所長としょうちゃんの3人は
事務所でいつも通り雑談をしていた。
スタンドの裏の林からは耳障りなセミの声が鳴り響き、
こちらも負けじと、3人とも語尾にミンを付けて話をしていた。
「やっぱりねぎ味噌の逸品が一番だミン」「下手な店よりは絶対旨いミン」
「どさん子よりは確実に美味しいミン」
「どさん子だったら俺らがテキトーに作った方が美味しい自信あるミン」
ニュータッチから発売されている凄麺シリーズの「ねぎ味噌の逸品」は、
当店では大変評価の高いカップ麺であり、
昼休みにこれを食らうのが、一種のステータスとも言えるものだった。
カップ麺として最高峰のクオリティを誇る「ねぎ味噌の逸品」と、近所にある「どさん子」というリアルのラーメン店は
しばしば比較の対象とされていた。
僕「ところで所長、なんで所長は君島さんにだけ、いつも丁寧なんですか?」
しょう「あー。君島さんね。」
所長「・・・あの人は、特別なんだミン」遠い目
なんだ、その意味深な感じは。一体君島さんと所長との間に、どんな過去があるんだろうか?
しかし語尾にミンがついていることから、大した理由も無さそうに感じてしまうのが残念だ。
僕「所長っていつもお客さんに態度大きいから、君島さんの時だけメチャクチャ丁寧なのが不思議だったんですよ。一体何があったんですか?」
所長「いや別にお客さんにはみんなに丁寧にしてるミンよ」
いやしていない。
所長「えーとそうか、しゅんちゃんは、まだこのスタンドに来て半年か。それなら知らないミンね。」
所長「君島さんは、うちの常連の中で一番怖い人だミン」
、、え
あの優しい君島さんが?
僕「ちょっと待ってください。俺君島さんて、一番優しい人だと思ってたんですけど。怖い要素なんかあります?」
所長「俺らの代で君島さんを知らない奴はいなかったよ、、、。」
所長曰く、僕らの10世代上のこの町はとにかく荒れていたらしい。
小学校高学年で煙草を覚え、中学ではシンナーを覚える。バイクは教室までの足で、先生に根性焼きをお見舞いする。高校へなんかもちろん進学しない。
そんな世紀末の世で一際目立ち、鬼と恐れられ、当時中1だった所長を震え上がらせた畏敬の対象が、君島先輩だったとのことだ。
しかしそれはもう20年近く前の話。
昔ヤンチャだった悪童が歳を重て丸くなったという典型パターンではないか。
成長した君島さんは、今は優しい人になったんだから、もはや恐れることないであろうに。
所長はなにをそんなにビビっているのだろう。
僕「へー君島さんて、昔そんなに悪かったんですか。全然分からなかったすよ。」
僕「でも今は丸くなってめっちゃ優しい人じゃないすか。やっぱり昔の癖で畏まっちゃうもんなんですか?」
所長「そうじゃない、、、あれは本当の君島さんじゃねえんだよ」
え?どういうことだ?
所長「君島さんは丸くなってなんかない。歳をとってもずっと鬼だ。」
所長曰く
大人になっても君島さんは尖り続けており、目が合えば恫喝、暴行は当たり前のキレッキレな危険人物であるとのこと。
というかもう頭のオカシイヤベー奴であるとのこと。
このスタンドの常連となってからも、度々店内で他の客とトラブルを起こしたり、問題となっていたそうだ。
僕の知っている君島さんとはイメージが全く一致しない。頭が混乱する。
僕「君島さんが?いつもあんなに優しいのに?」
所長「しゅんちゃんが入社する少し前、去年かな。」
所長「君島さんは交通事故で入院した。頭を強く打ったらしい。退院したら、人が変わったように優しくなっていたよ。」
所長「ある日突然、いつ元の君島さんに戻るか分からない。だから出来る限り刺激しないように、いつも接してるんだ。」
君島さんとうちの店とが、そんな緊張状態にあったなんて、僕は全く知らなかった。
気付いたら所長の語尾からミンが消えている。
ブイーン。
お客さんが来た。日産ローレルだ。
ニコニコ笑顔の君島さんが
今日も熱いねー
と事務所に近付いてくる。
いらっしゃいませ!
所長がいそいそと給油に駆け寄る。
セミの鳴き声は止んでいた。
ーある日突然、いつ元の君島さんに戻るか分からないー
僕はこのまま、今の君島さんのまま、変わらずにいてほしいと心から願った。
ダンプ屋や土建屋の
荒々しく注文を付けながらも「じゃまた来るわ」と、優しさも垣間見せる他の常連たちが、なんとも懐かしく思えた。
君島さんが元の君島さんに戻っているのかどうか、
地元を離れてしまった僕にはもう、確かめる術はない。